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校長

”努力すること”の大切さ

以前のブログにて、「なぜ『勉強』は必要なのか?」について触れたことがあります。


今回の内容はその投稿の内容とも重なる部分がありますので、

まだ読んでいないという方はぜひ合わせて読んでいただければと思います。


なぜ「勉強」は必要なのか?



ゴールデンウィーク期間中、当塾は約1週間の間休校とさせていただいておりました。

普段中々連休がとれないということもあり、私も遠出をするなどしてリフレッシュすることができました。


とはいえ、私も1週間ずーっと遊び続けていた、というわけではなく、

時間を見つけては数検1級に向けた勉強をしていました。

(最近かなりご無沙汰にしてしまっていますが、そちらの近況はまた改めて記事にしたいと思います)


休みの日にまで勉強しているのか…と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、

私自身も同じことを思っています(笑)


これに関しては自分もよく理由がよく分かりません(笑)

ただ、ふとした時に「学生時代の経験が活きているな」と感じたんですよね。


自分で言うのも変な話ではありますが、私も学生時代は人並み以上には勉強に注力してきました。

その時に学習した知識・手法のすべてが今の生活に役立っているというわけではありませんが、

”努力した”という経験そのものは確実に今に活きているという実感はあります。



正直、世の中に勉強が好きで好きでたまらないという人はほとんどいません。

また、日頃からしっかり勉強している人であっても、すべての学習が順風満帆に進んでいるというわけではありません。

つまり、勉強する以上はどこかで苦難を乗り越える”努力”が必要なのです。


私も現在、先述の通り完全に個人的な勉強をしているわけですが、

自分の意思でやっていたとしても苦しい時期はどうしてもあります。

内容が全然分からなかったり、進まなかったり、そもそも集中できなかったり…


そうした時に惰性や自分の弱い心に流されるのではなく、

勝負所で必要な”努力”ができること

私はこのことを学生時代の勉強を通して培ってきました。



別に”努力できること”って、勉強に限らず大切だということは言うまでもないと思います。

特に社会に出て働く以上は”努力”は避けられません。

どの会社も、努力できない人よりは努力できる人を採用したいと思うのが自然ですからね。


もちろん、私もそんな堂々と自慢できるような聖人ではないので、まだまだ努力していかなければならないというのは分かっていますが、、、



将来、”ここぞ!”という瞬間は必ずやってきます。

そうしたときに、”努力ができる人”になれるように、勉強を通して鍛錬を積んでいきましょう。


読んでいただきありがとうございました。

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