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校長

受験の意義

今日は、井田に勤めていた時の教え子たちと会う機会がありました。


受験以来の再会ということもあり、生徒たちよりも僕の方が嬉しくてテンション上がっていたかもしれません笑



皆、本当によく頑張ってくれました。

私も受験前は、彼らに教えるのが楽しくてしょうがなく、「このまま彼らの授業が続けばなあ…」と感じていました。

(受験生からしたらたまったもんじゃないかもしれませんが…)



受験後に再会した彼らは、ほんの数週間にも関わらず、ひと回り大きくなり

立派に成長してくれていました。

塾の先生として、これ以上の喜びはありません。


生徒たちのこの"変化"というのを、上手く言葉にするのって非常に難しいんです。

(私自身が文才ではない、ってこともありますが)

オーラとか、風格とか、どの表現も間違っていないような感じです。


変化の結果を表現するのは難しいですが、糧となったものは明らかです。



「経験」です。


「努力した自分」と言ってもいいかもしれません。



合否の結果を超越した、「受験に向けて努力した」「受験という山を乗り越えた」という経験


私は、これこそが受験の意義だと思います。


もちろん、この財産は全力で努力をしたからこそ得られるものです。

中途半端では、価値のあるものにはなりません。



私自身の経験ですが―

大学時代に、1年弱ほどニュージーランドに留学していた時期がありました。

日本にいた時期に、力を入れて英語を勉強していたので、

留学前は自信に満ち溢れていました。


しかし、その自信もわずか数日で打ち砕かれ、

「全然話せない」「全然聞き取れない」という無力感から、

夜は泣く日々がつづきました。


それでも毎日、授業後には図書館に通って、

英語の読書、英語のリスニング、英語の動画、、、

何時間も勉強しました。


ほとんど問題なくコミュニケーションが出来るようになったのは、

7~8ヶ月を過ぎたあたりでした。



スキル面において、今この経験が役に立っているということはほとんどありません。

外国の方と関わる機会はありませんので。


でも、今の私にとってこの経験が「糧」となっていることは間違いありません。

この経験がなければ、今の自分はないと言えます。



受験の意義も、「経験」とか「過去の自分」を得る

そういった点にあるのではないかと思います。


だいぶ抽象的な話になってしまいましたが、受験に向けて本気で努力した方は

理解していただけるのではないかなと思います。



ここまで「経験が大切」とお伝えしましたが、

もちろん、私は塾講師であり、保護者様から月謝をいただいて教室を運営しておりますので、

生徒の勉強・学習に対して手を抜くことは決してありません。

その点はご安心ください。


読んでいただきありがとうございました。

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